2012年03月23日

ほめるという事とルールと

鍵が見つからないので、仕事に行けない。参ったね。

一つ提案です。長男に鍵を開けさせたら、鍵を受けとるようにします。そこで、長男を誉めてあげてください。そうすれば、鍵が行方不明にならないし、息子もママにほめてもらえます。いかがでしょう?

子供を誉めるのて、楽しい。ほめるととてもいい顔をしてくれるからだ。ただ、どうほめるかが難しい。そのためにルールを作る。子供がルールを守ったらほめてあげる。そういうルールなら守るのも守らせるのも楽だ。

先日のサッカー教室。コーチがよく見てくれてると思った。息子がDFでOFの子がドリブルしてるのをボールを奪おうと、取れないまでもずっと競り合っていた。奪えないままゴール前まで運ばれたのだけれど、味方DFが奪った。OFの子は息子しか見えてなかったんだろう。そこで、コーチは息子をほめた。
コーチはきっちりマンマークするというのは基本だから、ほめたのかもしれない。が、OFの子にも競り合いになって、他のDFが見えてないことがダメだと勉強になるし、もう一人のDFは見方のDFをどうサポートすればいいか勉強になる。息子はきっちりマークするのもサッカーだとわかる。
ああいうプレーを皆が続けていけば、もっとレベルの高いサッカーができる。マークができるようになれば、ドリブル突破だけでなく、パスワークするようになるはずだ。そうするともっと面白いサッカーができる。コーチはそういう理想を持っているのだろうと思う。ほめることで指導していくつもりなんだと
ルールだから守らせるという指導をするチームを見かける。そうではないと思う。それでは、楽しいサッカーはできない。レベルの高いサッカーもできない。長男はいいコーチに出会った。感謝。

始めた頃から思っているのだが、長男はボランチかDFが向いているように見える。相手からボールを奪うのがうまい。当たり負けしない体だし、相手を追いかけるのを厭わない。自分の特質を把握できればもっと楽しくできるのだが。本人が気づかないと難しい。
敵に奪われないドリブルができる子。ポジションニングがうまい子。いつもシュートを狙って、毀れだまを決めるのがうまい子。いろんな特質をみんな持ってる。すごいなあとオジサンは見ているんだよ。わが子のプレーも感心してみている。俺も今生まれてたら、こんな子とプレーできたんだよなあ。羨ましい

http://sakaiku.jp/column/mental/2012/001916.html
コツは『がんばればできるかも』と思える目標を立てること。それを『110%目標』と言います。いままで60点しかとれなかったテストで、「66点でいいから。それ以上取れなくてもOKだから」”
− 『やる気の出し方』を子どもに教えていますか?

脳性麻痺のある次男を毎日ほめてあげたい。いつもそう思っている。長男や長女はほめてあげる機会は作れる。毎日一番がんばってる次男をほめてあげたい。すごい奴やで、お前は。最近では、伸びをしているように見えることがある。もし本当なら自律運動なのだ。私が脳性麻痺の方を見て思うのは、手足を伸ばしてリラックスさせてあげたいというのが一つ。わが子の症状がわかってから、それを願っている。お風呂に入るときも緊張が強かった。手足をのびのびさせて弛緩させてあげたい。いつかはきっとと思っている。このところは半身浴でゆっくり漬かっているので、リラックスできるようになった。

風呂に漬かりながらほめてあげる。手足伸ばせば、もっとほめてあげる。なぜか嬉しそうな表情をしているように思う。表情はまだ出ないし、笑うこともできないけれど。いつかはきっと。手足を動かせるようになるかどうかはわからないけれど、それだけは何とかしてあげたい。
彼の場合は脳神経が損なわれただけでなく、大きな要素として心配停止で受けた恐怖があると思っている。トラウマという奴だ。それが癲癇になって顕れたのではないか。癲癇症状は投薬のおかげで今は影を潜めている。体を鍼灸治療で暖めてもらったおかげで、冷たく息のできない経験を忘れつつあるのかも緊張は呼吸を妨げるし、血流を損ねて体を冷やす。それが、トラウマを起こして彼を苦しめていたように思う。体が温まり、呼吸が楽な姿勢に保つことで、彼のトラウマは少しだが忘れられているように思える。2年半が過ぎて、よくここまでがんばってくれたと思う。すごいよ。
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2012年03月22日

放射能拡散予測メールとかなんとかと大阪府

「原発副読本で現場混乱 福島 http://yj.pn/6v0dJN #yjfc_fukushima_nuclear_threat」
で、こんなもんで混乱するはずがない。放射能について何を教えるか決まってないだけだろ。

放射能拡散予測メールの削除でも分かるが、行政は徹底して異常な放射能情報を隠蔽している。だから、モニタリングデータも公開していなかった。たぶんなんらかのガイドラインに「計測異常が原因と見られる放射能計測データを公開してはいけない」とでも書いてあるのだろう。
だから、間違えてメールを削除したとした役人は解雇されない。異常な数値は公開してはいけない、のだろうから。徹底して止められていた。

我が子の身障者認定もガイドラインが根拠で2級に認定された。美辞麗句が施されているが、3歳未満は認定しない、とある。本来は認定しないが、温情で2級に認定してあげるよということなんだろう。
一般市民はそんなガイドラインなど存在すら知らない。うっかり見つけても、美辞麗句にだまされる。行政のやり方は、そういう意味ですごく怖い。

高校の無償化も、 民主党の約束、マニフェストだけのように見せているが、実際は随分昔に批准した国際人権規約にあるものだ。将来的には中学、高校を無償化しますと国際的に約束していたのだ。
そうであれば、インターナショナルスクールを無償化から除外できないわけだ。大阪がやった朝鮮学校の対象外とする施策は正しくないことになる。反日という点では中共も韓国も同じ。国家と認めていない点では台湾も同じ。拉致事件を根拠に人権を踏みにじる対応をした。
あれだけ君が代日の丸を大事にするのに、北朝鮮にとっては君が代日の丸と代わらない金日成金正日の肖像画をおろさせたのが、大阪府だ。どこに正当性があるというのか?国民感情を大事にするのはいいが、大阪に住んでいる人たちを足蹴にしていいものか。国家がこういう事をするならまだしも。
posted by いしのひげ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

2/27のこと、娘のこと

少し古い話。

「2/27
長女が熱発。しっかり者だけど、強情。顔が真っ赤なので、冷えピタを貼ろうとするが、おでこに貼るのを拒む。掌、足裏まで熱いのに、カイロを身に付け毛布にくるまる。そりゃ熱も上がるし、咳もでるよ。氷枕、濡れタオルも使って、漸く落ち着いて寝た。今度はしっかり保温する。

娘はインフルB。イナビル吸入した。これで、A、Bそろった。」

娘はあまり要求をしない。だから、けっこう貧乏くじをひいているように思う。性格的にも我慢するように思える。兄はママに甘えるし、いろんな人にちょっかいをかけている。兄は保育園でつらい思いをしたようなのだが、娘は我慢する性質なので甘えることもしないでいるかもしれない。

発熱しても、甘えずに強情をはる子だからなあ。
posted by いしのひげ at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

3月3日、4日のこと

3/3
今日は、長男の合奏大会。どういう主旨のどういう団体の音楽フェスティバルなのかは知らない。ネットで情報がないので。この大会の演奏練習で泣き始めて、長男は登園拒否になった。原因はわからない。演奏自体は好きなようだ。今日も最後まで演奏を終えた。

二人の保育士が交代で指揮をした。その指揮ぶりを見ると、指揮でいっぱいで余裕がない。園児一人一人に目を向けていない。これは、きつい。演奏は上手だが、それに気を取られ過ぎだ。

兄の演奏を妹と弟は見に行った。二人ともインフルあけできつかったと思うが、長男が見てほしいと言うので全員で見た。残念ながら、座った位置が悪くて顔が見えなかった。耳をそばだてて長男の音を追った。本当によくがんばる子だ。

夕飯には帰宅。作る暇はなく、ちらし寿司を買う。それ以外はいくつか料理する。

3/4
今日のサッカー教室。コーチが声を出さないから、みんなダラダラ。団子になってドリブルもない。リスタートも遅いから、みんな走らない。他の子より速く動き出さないとボールに触れないよ。みんながそういう意識で動かないと、爽快なプレーはできない。

他の子より後ろにいて、他の子と同じ速さで動いていたらボールに触れないよ。どんどん触りに行って競いあえば、お互いにうまくなる。

自分をしっかり持つ。そういう言葉があるけど、しっかりした立派な考えをすることだと勘違いしてる。揺るがないこととかんちがいしたり。自分の心と言動をしっかり把握することだよ。気持ちと言葉、行動が一致しないのは、何かを勘違いしてる。

わが子の保育士もそうなんだが、君が代の斉唱で起立しない教師も、何か見失っているように思う。それぞれの仕事は何かと。生徒あるいは園児を見つめることが職業の基本にあることを忘れている。座っていては生徒の顔も見えまい。指揮するのに精一杯では、園児の演奏している顔も見えまい。
結局、己の頭の中の世界に生きていて、自分自身すら見えていないのではないか?何か一つのことだけで頭が一杯になっている。いろんな状況の中で、人は様々に行動し言葉を発する。己の頭の中で考えるには、あまりにも変化は大きいのだ。観察し、次を予測するだけでもオーバーフローするはずなのだ。

誰が、何をしているか。そして、自分は何を言い、何を行動するか。それ位のことしかできない状況というのがある。それをカバーするために事前の準備が必要になる。学校の授業はそういう準備なのだということを忘れているんじゃないか。学習は学習のためにあるのではない。卒業式もそう。

頭でっかちで、過去に縛られている頭で考えていることは、滑稽で陳腐になっていくのだ。人が何をしようとしているか、人が何を言っているのか、そこが教育の基本だろう。無理やり自分の思想を押し込めるものではないはず。こんな愚かな教師は少ないと思うが。わが子もアンラッキーだった。

音楽演奏会でも、主催者は「他の子たちの演奏に耳を傾け、あわせることが大事」と言っていたのだ。だが、わが子の保育士は正確なリズムをとることだけに汲々とする指揮をしていた。子供たちが他の子の演奏に耳を傾けているようには見えなかった。ただ上手に演奏しようとしていた。

親もまた、同じ。反省しながら、まずわが子を見る。何を話し、何をしているかを見る。それと同じく、自分が何を話し、何をしているのかを知る。始終していれば疲れること。ある程度は手を抜きながら楽しくやっていこう。ある一点だけを見つめるのではなく、ぼんやりと全体を見ていこう
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2012年03月06日

無理な最善は要らない、こころを見よう

ベストを尽くす、というけれど。実は最善の策には危うさがあることが多い。将棋で、棋士が最善と思って指した手が失着になってる。最善の誘惑か。魔がさすというか。どんなやり方にも長所と欠点があるのを忘れないようにしたい。

今、となりでスヤスヤ穏やかな寝息でもーちゃんが寝ている。でも体は少し緊張している。隣でJ吉も可愛い顔で寝ている。保育園はしんどいか。そして妻。ここ暫くのトラブルで疲れてる。一番向こうのにゃちゃんは、ここからはよく見えない。大人しい子なので、気づいてあげられない事が多い。よく寝てる

保育士にも言ったことだが、親は子供をみてあげることが一番大事。素晴らしい人がいい親なのではなく、子供を、子供の変化を見ているのが適当な親なんだろう。いい親になろうとするのは馬鹿げている。でも、彼らをよく見ている事はできるはず。どんな顔をしているか。何を見て、何を話すか。何を考えてるか、感じてるか、なんてわからない。保育士は勝手に捏造して子供の気持ちを連絡してくる。親にもわからない。そんなの本人にも分かってないかもしれない。デタラメはやめよう。見てあげる、抱き締めてあげる。それくらいしかできはしない。

やり方を変えようと言われても、あたしこのやり方しかできへんもん。そう思ってるんやろな。何か言われても返事もせずに、言われたことをやるのが、なぜダメなのかわからんのだろうな。嫌なものは嫌、好きなものは好き。話し合って、やれる形でやらないとしんどくなる。自分の好きにやるからてことか。それで、自分の中にためこんで、いっぱいいっぱいになったら投げ出すんやろ。いつまで、そんなやり方を続ける?うちの状況はかなりキツいのに、そんなやり方でいつまでできる?

難しいことは言わない。とにかく話していくだけ。言葉にすること。自分が何かを決定しようとしていることを意識すること。決定したなら、話すこと。それを相談するように変える。これは、子供たちにも言っていること。そうでないと、自分の中にためるばかりになる。

自分のこころと向き合うというのを勘違いしている場合は多い。自分の気持ちを考えようとするからだ。自分の気持ちを誤魔化したり、嘘をついてたりすれば、本当の気持ちはわかるはずがない。自分の言葉、行動をよく見ておくことが、こころと向き合うということだよ。

誰々の行ったとおりにしているだけ。その言葉は危険なんだ。それは自分のこころに嘘をついている。自分を傷つける行為なんだ。何が好きで、何が嫌いか、はっきり意識すればいい。他人の言葉通りといっても、自分の意に沿う部分だけをしているんだ。なぜそうしているか意識せずにやってる。

そのくせ、なぜそんなことをしてしまったんだろうと思う。それは自分に嘘をついているから、わからないだけだよ。自分では何も決めていない。人の言ったとおりしているだけ。そう言うのに人が何度も言ってることに耳を貸そうとしない。それはなぜだか、考えたほうがいい。

そんなことを続けていると、自分が何を考えているかわからなくなるよ。言葉にすると、自分はこんな気持ちなんだとわかることが多い。自分の言葉に耳を傾けてみる。それが自分を知ることなんだと思うよ。なんでこんなことしてしまったんだろうと悔やむんじゃなくて、自分の気持ちを知ってあげるんだよ

私自身、汚いこともやるし、ずるいこともやる。それが自分なんだから仕方ないと思うよ。それを誤魔化してもバカらしいと思うんだよ。バカなんだから、こいつ。それを認めてあげたらいいんだよ。

他人。友人や先生、知り合いなんかに何でもかんでも話してはいけない。それで、話せなくなるのかもしれないね。でも、親や兄弟、夫婦、子供には、ある程度本音を話していいと思うんだよ。家族の居ない人は、だから大変だ。自分のこころと向き合うのが難しくなるかもしれない。嘘ついたり、誤魔化したりするのは、よく知らない他人。それを間違えて、自分に嘘ついたり、誤魔化したりしないようにね。
posted by いしのひげ at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

「ねばならない」と「よくできる子」

こういうツイートがあった。
「子供が障害児なんだけど正直もう育てたくない
http://worldrankingup.blog41.fc2.com/blog-entry-1961.html
目を逸らしたいけど、この業界でこういう人たちの支えになることがしたいなら、逸らしちゃいけないんだよね。 」

親が80歳を超えて、障碍者の子供の介護をするとなったら、これはGIVE
UPしていいんじゃないかと思う。私もわが子が20歳の段階で考えると思う。無理して憎しみを感じるくらいなら、降参する勇気があってもいい。

こういう記事を読むと思うのだけれど、みんな自分が障碍者になると思っていないように見える。私の父が手術を受けて、せん妄状態になったとき、「あ、誰でもなるんだ」と知った。彼の場合は一時的なもので回復したのだけれど。あのままならば、介護の必要が生まれた。

やはり、きょうだい児の問題は「よくできる子」ほど深い悩みを持っているのかもしれない。やはり、少しくらいわがまま言ってもいいんだよ。

「ところが、みんな反対のことをする。たとえば、子どもは学校に行かねばならないとか、夫婦は愛し合わなければならないとか、思うがままにならないことを「ねばならない」で縛りつけ、苦しんでいたりする。」
http://www.futoko.org/special/special-42/page1128-2066.html

そうなんだよね。やり方を変えれば、実は間単にできたりするんだよなあ。「ねばならない」という拘りさえなければ、拘ってるのとは違う方向から行けばいいだけなんだよな。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。でも、それで全部が片付くわけじゃない。「好き」に拘ると、またしんどい

キレイだけど閉じられふさがってるドアの隣には、小汚いけど楽に通り抜けるドアがある。でも、汚いから目に入らなかったりする。だから、通れないドアを使って入ろうと汲々としてる。あるいは、裏に行けばもっとキレイで広々したドアがドアマン付きで用意されてるかもしれない。
posted by いしのひげ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

悪者さがし、きょうだい児、そして普通の生活

子供についての話をしていると、時折親の問題を追及するようなお話がでてくる。何かが間違っているから、おかしくなると考える人は多いんだろう。長男の件も、誰かが間違っているということで、問題が顕れたわけではないと思う。保育士については職責を忘れていたのは確かだが、それが原因ではない。

私たちも障害児である次男のケアに心を奪われがちになる。ただし、上の子たちを排除しているつもりもない。ヘルパーさんにお願いして、みんなでプールに行ったり、お買い物に行ったり、楽しく過ごしている。それでも、子供に負担はかかっている。なんとかしようと思ってもヘルパーの利用にも制限があり、すべてが満足できるようには困難がつきまとう。それも子供に説明しながら笑いながらやってきている。

誰が悪いのかという犯人探しには意味が無いと思う。何があったのかを知る必要はあるけれど、誰かが決定的に悪いということは無い。そんな簡単なことなら、誰も苦しまないのだ。外野からは、短慮な言葉をいっぱいいただく。親が悪いと思ってる人も多い。次男の出生トラブルでも悪者を探そうとする。
悪者がいるとしても、今の状況を楽にする役に立つのなら、探せばいい。そんなこと、たいていは役に立たないだろう。ことは、そんな推理もの小説やドラマのようなお話ではないからだ。犯人が見つかった後も、トラブルは続くものだからだ。

きょうだい児のコミュニテイを見て、書いておられることは親への怨嗟。蔑ろにされた苦しみばかりだ。私は、こういう状況でも子供たちといることは楽しい。もっと楽にしてあげれば、もっと楽しいと思う。将来私が死んだ後、子供たちが空を見上げて、空が美しいと思えるようにしてあげたい。親と一緒に見る空も美しいが、親がなくなった後に見る空はもっと美しい。それは、親のおかげだと思った。

自分が楽になれば、みんなも楽になる。それを忘れてはいけないのだ。みんなが苦しむのではなく、自分だけが楽になるのでもない道。それは探せば、きっとある。

眉間にしわを寄せて、難しい顔して探してもいいけれど、みんなで笑いながら、楽しんで探すのも方便。

普通になりたいと思ったことがあります。でも、普通と言うのは具体的にどういうことなんだろうと考えたら、馬鹿げた想像でしかないと思いました。

他人の尺度で物を量るのは無理があります。人それぞれ、できないものもあります。例えば手がないのに、手を使うことを望んでも苦しいだけです。自分が望んでいることは本当のところ何だろう。違うやり方でも実現できるのではないかと考えるようにしています。

一流大学に行って、一流企業に勤めることを説いている親をみかけた。随分無駄にハードルを上げる奴だ。言ってることは、勉強して働くということでしかない。ソノウエデ、さらに何をするのかを見つけることが、面白い。

それぞれが、それぞれの生き方を楽しめばいいんだよ。

他人にできて自分にできないことを羨んだり、嫉んだりしても、何もできない。自分にできるやり方で、やりたいことを実現していけばいいじゃない。同じことをするのに、やり方にこだわり続けると苦しむばかりだよ。

家が狭いのに荷物ばかり。大きな家に移り住むか、保管場所を作るか、思い切って捨ててしまうか、捨てたついでに家具も捨てれば、もっと広くなる。狭い家のまま、たくさんの荷物の前でどうしたらいいんだろうと言い続けても何も変わらない。置き方を変えて整理したところで根本は何も変わらない。
悪者を見つけて文句を言っても、変わりはしない。

こけたらこけたで、いいじゃない。立ち上がる勇気さえあれば、何度でも立ち上がれるよ。
posted by いしのひげ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

久々の保育園ときょうだい児

今日は長男が久し振りに保育園に行った。嫌なものは嫌と言いなさい、と言って連れていく。妹は兄と一緒でうれしそう。笑うと楽になるからと、兄を笑わせる。薬もあるから大丈夫。体を強ばらせると息も苦しい。両手を万歳して行こう。

長男が歩き出すために、最後の一押しで叱りつけた。嫌いなもの好きなものを意識して、何が不安かもわかった。体調については薬を飲んでいる。後は歩き出すだけ。それは怖いから、っていた。叱りつけた後、涙が出てしまった。親はこういう思いで叱るものなのかと、少し知った。

きょうだい児のこころのケア。きょうだい児が親と二人だけになる時間を作る。きょうだい児の個室を確保し、一人になれる時間と場所を作る。きょうだい児に生じる困難な問題について相談に乗る
http://homepage2.nifty.com/tomy_s/kyoudai.htm

きょうだい児という言葉を教えていただいた。我が家の場合もそうなる。私たちは普通の親よりも、より慎重にやっていかないといけないようだ。

やはり、ユルさは一番必要なんだろうね。

緊張と緩和。厳しいだけではうまく回らない。ぎちぎちに締めると、ギアはうまく噛み合わないんだろう。

「レスパイトというのは、親が介護疲れで倒れた時だけでなく、倒れる前に休息を与えるという目的をもっています。さらに障害児(者)をもつ親に一般の人た
ちと同じような就労や地域での交流、余暇活動への参加の機会を提供しようとする積極的な意味もあります。」きょうだい児にはどうしていくか

きょうだい児のレスパイトをもっと考えないといけないんだろう

同志社大学赤ちゃん学研究センター、というのがあるらしい。日本音楽医療研究会、日本赤ちゃん学会なども。

http://www.geocities.jp/ssgj_tokyo/ きょうだい支援の会
posted by いしのひげ at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

長男のその後、体を癒す

ひどいもんだ。医者の勘違い。悪い医者というのは、病気を治せない医師ではない。人を見ようとしない医師だ。

医者なんて所詮既知の病気を治すしかない。既知であっても治療法のない病気もある。知らない症状が病気でないと断言できないはずだ。症状を緩和できるなら、最善をつくしてほしい。気のせいですと冷笑するなら、医者をやめてほしい。まともな医者に迷惑だ。

父ちゃんも胃痛。長男も同じような症状。薬局で安中散を買う。ストレス性胃炎なら、これで楽になるはず。医師に処方してもらいたかった。

息子とかかり付けの病院に行く。巷では藪と呼ばれているらしいが、私は信頼している。息子の症状を聞き、それにあった漢方を処方してくれた。西洋薬では適したものが無い。心理状態を見るシートを使って質問していた。無用なことやホラは吹かない。心配なのは患者が少ない。いい医者だと思うのだが。

現在、妻にべったりの長男は母親の影響下にいる。ママがしんどそうだとしんどさが伝染するし、不安そうだと不安になる。さびしい病だと妻は言うが、不安だから母親のそばにいるだけだと思う。自信さえ持てば大丈夫。いろんなことをさせて褒めてあげれば大丈夫。
posted by いしのひげ at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

問題は解決すれば、実はとても単純なこと

問題は解決すれば、実はとても単純なこと。でもその過程は不安で、複雑で、いろんなことに悩む。ゴールが見えていないから、とても苦しい。

「今日は長男の同級生のママが来た。保育園の初めての友達だ。その子とは最近は遊んでない。用件は集合写真と、息子さんにピアノを教えてくれないかということだった。写真は撮れないと答えた。ピアノについては妻が教えることなので、私は関係しない。教えることになりそう。

そうなると長男とそのお子さんは仲がいいか確認しとこうと思い、息子に聞いた。どうも歯切れが悪い。同級生と仲が悪いのではないかと思う。保育士の事を3人とも嫌いと言うまで時間がかかったが、それに似ている。時間をかけてでも聞いておく必要がありそうだ。

気になるのは長男が好きだと言うのは、1人だけ。いろんな人に馴れ馴れしくする子にしては少なすぎる。嫌いなのは誰と聞いても、なかなか答えない。好きと言った子は、今日訪ねてきたママの子を苛めていたらしい。そこが少し不安。友達関係のトラブルを保育士は伝えてくれてないが、あの人達は見てない

妻と保育園の連絡帳を見返す。保育士が言っているような、インフルエンザ以降ではないし、2曲目の練習からでもない。2曲目の譜面は17日に渡している。泣き出したのは16日。保育士は練習に頭がいっぱいで、連絡帳も練習のことだらけ。

演奏練習中に「さびしい」と言って泣いている。それで保育士は練習が嫌だと言っていると決めつけたようだ。そしてやる気を出して練習するよう指導した。その繰返しだった。演奏が嫌なのではなく、さびしいから泣いて、そして練習にやる気が出なかった可能性がある。

いじめっ子、嫌われ者の子だけと仲が良い長男。友達関係のトラブルがあったかもしれない。保育士は演奏練習に頭がいっぱいで見過ごした。長男のサインを放置。その上、練習するよう責める。それが続けば体調もおかしくなる。

明日は長男の保護者面談。妻に友達関係のトラブルがなかったか聞いてもらおうと思う。どちらが悪いとかでなく。息子が嫌われるようなことをしていたかもしれないし。

保育園は20人程度で1クラスとして合計2クラスだったものを1クラス40人にしている。担任2人に主任を1人つけているが、2クラスを3人で見るのと、1クラスを3人を見るのでは、1クラスの方が楽だと勘違いしたんではないか。人数が少ない方が目が行き届くのに!

ふと思ったのだが、長男のクラスは進学する小学校でグループができているのではないか。それで、今まで遊んでいた子と遊べなくなって、さびしくなったんじゃないか。我が子の小学校は男4人しかいない。」
posted by いしのひげ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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