2012年08月24日

正しいと言うことは実はたいしたことじゃない

イーケプラどこ?で昨夜は妻と大喧嘩。短気な夫で申し訳ないが、ええ加減切れるわ。のびたラーメンと一日前の刺身の夕飯とか。夜の洗濯やめようと言ったら、夜の洗濯Xと貼り紙して洗濯機を動かす。ほんまに私は嫌われ者

正しいかどうかなんてどうでもいい。できることをするだけでいいんじゃないか。ただし、相手が苦痛だと言うなら、できることであってもやらないように気をつける。それだけでいいと思ってる。今は、家族全員の体調を整えること。そのために部屋の空気を入れ替え、出来る限りクリーンにする。

正しいかどうかということであれば、私はほとんど正しくない。間違えている。それでも、その中でできることをする。いくら正しいと主張しても、それで相手が苦痛を感じるなら、やめるだけのこと。正しさが快適さを生み出すわけじゃない。間違ったことでもそれで誰かが心地よければ、それでいい。

正しいかどうかっていう点では、役所はいつも正しい。法律から逸脱はしていない。だけど、私たちはとても苛立ちを覚えることがある。理屈の上では正しいけれど、それが何か?と言いたいことは多々あった。身障者認定でもそうだったし、健康保険料についてもそうだ。ルールを守るから正しいってことだ。

ルールどおりだからいいでしょ。守りなさいという態度と、ずっと戦ってきてる。小学校の頃はそれですねた。一番小さい体で運動も上手でない私が公平という言葉で、皆と同じことを強いられた。やりたいことは公平と言う言葉でさせてくれない。つまらない勉強を退屈な進み方で強いられた。それもルール

正しいというだけでは、何かが足りない

正しいことをしてもうまくいかないのは、ちょうどレシピどおりに作っただけの料理がまずいのと似ている。正しいだけでは足りないのだ。
posted by いしのひげ at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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