2012年07月12日

能力、尊敬、そして33回忌

石原都知事曰く「スポーツも科学の社会も、芸術の世界だって、能力のない、発見のない人間というのはどんどん置いていかれて、だれも尊敬されない
http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/TOMIN/G …」
この発言をするのが自治体の長だというのが大問題だ。都民の大半は普通の労働者で、彼らを尊敬しないのか

優秀な人間と言うのは、全て己の努力で今があると誤認しているんだろう。だから、優秀でない人間は努力が足りないと短絡する。優秀だけど、愚かだと思う。元々、健康で記憶力もよく家庭環境もよい、学校にも優秀な人間が集まり刺激を受けて勉学する、そういう人間が努力した結果なのだ。

石原氏などは頭脳明晰、すばらしい文章力、会話力、そして美しい容姿、国民的スターの弟。多くのものに恵まれている。ハンディキャップなど微塵も感じたことはないはずだ。劣等感は持ってるだろうが、現実のハンディキャップはない。そういう人であれば体罰にも耐えられる。

同じ記事で川淵氏曰く「サッカー協会は年間、延べ何百万人という子供達にサッカーを教えている。しかし、サッカーの技術を教えているだけであって、精神的なもの、道徳心、フェアプレー、そういったもの、社会性を持った人間に育てるようなことを何もやっていない」この反省は全世界に通用すると思う

サッカーは個人の努力とチームの努力を練習する。個人主義だけでは成り立たない。利己的な選手では通用しないのがわかってるのだ。献身だけでもなく、他人を利用するだけでもない。個人の努力もあるが、すばらしいコーチも必要で、彼らは決してすばらしいプレーヤだったわけでもない。草の根の活動なの
だ。

現状の教育の問題点は行政がふらふらしていることだろう。ゆとり教育とか円周率は3だとか、全部教育行政がふらふらしている弊害。それを家庭や学生に責任転嫁しようとしている。まずは行政が反省して、腰を据えてもらいたい。円周率3.14を3にするくらいなら22/7で教えたほうがましだった

都知事と私の母は同年代。戦前の生まれ。彼女は6人兄弟の長女だった。
長男は大学、次男は高校、そして私の母は中学という学歴だった。母は学業は優秀で、副級長をして級友の世話までしていた。それでも、時代の混乱と裕福でない家庭環境のため中学までしか行けなかった。能力があっても生かせない人はいるのだ。

母の葬式に級長が来た。京大を卒業された学者だった。勝気な性格の母からすれば、あの子が京大なら私もと歯噛みしただろう。彼女は父と結婚してから、子供を育てつつ夜学に通い高校を卒業した。
恵まれた環境の人間からすれば、高卒などというのは努力が足りないと掃き捨てるんだろう。

晩年、彼女は私たちが成人したら離婚を考えていると言っていた。夫への愛情が無くなったからかもしれないが、私はあの人は大学に行く気だったんじゃないかと思っている。彼女は生きていれば、離婚して蓄財した財産を分与して、そのお金で大学に行ったんじゃないか。しかし、その前にガンにかかり彼女はこの世を去った。

恵まれていない環境で努力を続けて挫折することもある。それが尊敬に値しないとは、私は思わない。

今年はそんな母の33回忌だった。
posted by いしのひげ at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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