2012年03月06日

無理な最善は要らない、こころを見よう

ベストを尽くす、というけれど。実は最善の策には危うさがあることが多い。将棋で、棋士が最善と思って指した手が失着になってる。最善の誘惑か。魔がさすというか。どんなやり方にも長所と欠点があるのを忘れないようにしたい。

今、となりでスヤスヤ穏やかな寝息でもーちゃんが寝ている。でも体は少し緊張している。隣でJ吉も可愛い顔で寝ている。保育園はしんどいか。そして妻。ここ暫くのトラブルで疲れてる。一番向こうのにゃちゃんは、ここからはよく見えない。大人しい子なので、気づいてあげられない事が多い。よく寝てる

保育士にも言ったことだが、親は子供をみてあげることが一番大事。素晴らしい人がいい親なのではなく、子供を、子供の変化を見ているのが適当な親なんだろう。いい親になろうとするのは馬鹿げている。でも、彼らをよく見ている事はできるはず。どんな顔をしているか。何を見て、何を話すか。何を考えてるか、感じてるか、なんてわからない。保育士は勝手に捏造して子供の気持ちを連絡してくる。親にもわからない。そんなの本人にも分かってないかもしれない。デタラメはやめよう。見てあげる、抱き締めてあげる。それくらいしかできはしない。

やり方を変えようと言われても、あたしこのやり方しかできへんもん。そう思ってるんやろな。何か言われても返事もせずに、言われたことをやるのが、なぜダメなのかわからんのだろうな。嫌なものは嫌、好きなものは好き。話し合って、やれる形でやらないとしんどくなる。自分の好きにやるからてことか。それで、自分の中にためこんで、いっぱいいっぱいになったら投げ出すんやろ。いつまで、そんなやり方を続ける?うちの状況はかなりキツいのに、そんなやり方でいつまでできる?

難しいことは言わない。とにかく話していくだけ。言葉にすること。自分が何かを決定しようとしていることを意識すること。決定したなら、話すこと。それを相談するように変える。これは、子供たちにも言っていること。そうでないと、自分の中にためるばかりになる。

自分のこころと向き合うというのを勘違いしている場合は多い。自分の気持ちを考えようとするからだ。自分の気持ちを誤魔化したり、嘘をついてたりすれば、本当の気持ちはわかるはずがない。自分の言葉、行動をよく見ておくことが、こころと向き合うということだよ。

誰々の行ったとおりにしているだけ。その言葉は危険なんだ。それは自分のこころに嘘をついている。自分を傷つける行為なんだ。何が好きで、何が嫌いか、はっきり意識すればいい。他人の言葉通りといっても、自分の意に沿う部分だけをしているんだ。なぜそうしているか意識せずにやってる。

そのくせ、なぜそんなことをしてしまったんだろうと思う。それは自分に嘘をついているから、わからないだけだよ。自分では何も決めていない。人の言ったとおりしているだけ。そう言うのに人が何度も言ってることに耳を貸そうとしない。それはなぜだか、考えたほうがいい。

そんなことを続けていると、自分が何を考えているかわからなくなるよ。言葉にすると、自分はこんな気持ちなんだとわかることが多い。自分の言葉に耳を傾けてみる。それが自分を知ることなんだと思うよ。なんでこんなことしてしまったんだろうと悔やむんじゃなくて、自分の気持ちを知ってあげるんだよ

私自身、汚いこともやるし、ずるいこともやる。それが自分なんだから仕方ないと思うよ。それを誤魔化してもバカらしいと思うんだよ。バカなんだから、こいつ。それを認めてあげたらいいんだよ。

他人。友人や先生、知り合いなんかに何でもかんでも話してはいけない。それで、話せなくなるのかもしれないね。でも、親や兄弟、夫婦、子供には、ある程度本音を話していいと思うんだよ。家族の居ない人は、だから大変だ。自分のこころと向き合うのが難しくなるかもしれない。嘘ついたり、誤魔化したりするのは、よく知らない他人。それを間違えて、自分に嘘ついたり、誤魔化したりしないようにね。
posted by いしのひげ at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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