2012年03月05日

「ねばならない」と「よくできる子」

こういうツイートがあった。
「子供が障害児なんだけど正直もう育てたくない
http://worldrankingup.blog41.fc2.com/blog-entry-1961.html
目を逸らしたいけど、この業界でこういう人たちの支えになることがしたいなら、逸らしちゃいけないんだよね。 」

親が80歳を超えて、障碍者の子供の介護をするとなったら、これはGIVE
UPしていいんじゃないかと思う。私もわが子が20歳の段階で考えると思う。無理して憎しみを感じるくらいなら、降参する勇気があってもいい。

こういう記事を読むと思うのだけれど、みんな自分が障碍者になると思っていないように見える。私の父が手術を受けて、せん妄状態になったとき、「あ、誰でもなるんだ」と知った。彼の場合は一時的なもので回復したのだけれど。あのままならば、介護の必要が生まれた。

やはり、きょうだい児の問題は「よくできる子」ほど深い悩みを持っているのかもしれない。やはり、少しくらいわがまま言ってもいいんだよ。

「ところが、みんな反対のことをする。たとえば、子どもは学校に行かねばならないとか、夫婦は愛し合わなければならないとか、思うがままにならないことを「ねばならない」で縛りつけ、苦しんでいたりする。」
http://www.futoko.org/special/special-42/page1128-2066.html

そうなんだよね。やり方を変えれば、実は間単にできたりするんだよなあ。「ねばならない」という拘りさえなければ、拘ってるのとは違う方向から行けばいいだけなんだよな。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。でも、それで全部が片付くわけじゃない。「好き」に拘ると、またしんどい

キレイだけど閉じられふさがってるドアの隣には、小汚いけど楽に通り抜けるドアがある。でも、汚いから目に入らなかったりする。だから、通れないドアを使って入ろうと汲々としてる。あるいは、裏に行けばもっとキレイで広々したドアがドアマン付きで用意されてるかもしれない。
posted by いしのひげ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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