2012年02月28日

悪者さがし、きょうだい児、そして普通の生活

子供についての話をしていると、時折親の問題を追及するようなお話がでてくる。何かが間違っているから、おかしくなると考える人は多いんだろう。長男の件も、誰かが間違っているということで、問題が顕れたわけではないと思う。保育士については職責を忘れていたのは確かだが、それが原因ではない。

私たちも障害児である次男のケアに心を奪われがちになる。ただし、上の子たちを排除しているつもりもない。ヘルパーさんにお願いして、みんなでプールに行ったり、お買い物に行ったり、楽しく過ごしている。それでも、子供に負担はかかっている。なんとかしようと思ってもヘルパーの利用にも制限があり、すべてが満足できるようには困難がつきまとう。それも子供に説明しながら笑いながらやってきている。

誰が悪いのかという犯人探しには意味が無いと思う。何があったのかを知る必要はあるけれど、誰かが決定的に悪いということは無い。そんな簡単なことなら、誰も苦しまないのだ。外野からは、短慮な言葉をいっぱいいただく。親が悪いと思ってる人も多い。次男の出生トラブルでも悪者を探そうとする。
悪者がいるとしても、今の状況を楽にする役に立つのなら、探せばいい。そんなこと、たいていは役に立たないだろう。ことは、そんな推理もの小説やドラマのようなお話ではないからだ。犯人が見つかった後も、トラブルは続くものだからだ。

きょうだい児のコミュニテイを見て、書いておられることは親への怨嗟。蔑ろにされた苦しみばかりだ。私は、こういう状況でも子供たちといることは楽しい。もっと楽にしてあげれば、もっと楽しいと思う。将来私が死んだ後、子供たちが空を見上げて、空が美しいと思えるようにしてあげたい。親と一緒に見る空も美しいが、親がなくなった後に見る空はもっと美しい。それは、親のおかげだと思った。

自分が楽になれば、みんなも楽になる。それを忘れてはいけないのだ。みんなが苦しむのではなく、自分だけが楽になるのでもない道。それは探せば、きっとある。

眉間にしわを寄せて、難しい顔して探してもいいけれど、みんなで笑いながら、楽しんで探すのも方便。

普通になりたいと思ったことがあります。でも、普通と言うのは具体的にどういうことなんだろうと考えたら、馬鹿げた想像でしかないと思いました。

他人の尺度で物を量るのは無理があります。人それぞれ、できないものもあります。例えば手がないのに、手を使うことを望んでも苦しいだけです。自分が望んでいることは本当のところ何だろう。違うやり方でも実現できるのではないかと考えるようにしています。

一流大学に行って、一流企業に勤めることを説いている親をみかけた。随分無駄にハードルを上げる奴だ。言ってることは、勉強して働くということでしかない。ソノウエデ、さらに何をするのかを見つけることが、面白い。

それぞれが、それぞれの生き方を楽しめばいいんだよ。

他人にできて自分にできないことを羨んだり、嫉んだりしても、何もできない。自分にできるやり方で、やりたいことを実現していけばいいじゃない。同じことをするのに、やり方にこだわり続けると苦しむばかりだよ。

家が狭いのに荷物ばかり。大きな家に移り住むか、保管場所を作るか、思い切って捨ててしまうか、捨てたついでに家具も捨てれば、もっと広くなる。狭い家のまま、たくさんの荷物の前でどうしたらいいんだろうと言い続けても何も変わらない。置き方を変えて整理したところで根本は何も変わらない。
悪者を見つけて文句を言っても、変わりはしない。

こけたらこけたで、いいじゃない。立ち上がる勇気さえあれば、何度でも立ち上がれるよ。
posted by いしのひげ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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