2011年06月16日

天理教のおぢばがえりと保育園と

7月が見えてきた。その頃に頭の痛いことがある。

年中組から年長組にかけて、子供たちの通う保育園ではおぢばがえりに参加するようになる。強制ではないので、参加しないでもいいというのは建前だ。遠足だったり、お泊り保育だったりが、天理教のおぢばがえりに組み込まれている。

私は、天理教に対して批判的なわけではない。そうだったら、天理教が運営している保育園に入園させることはなかった。単純に家から近い保育園で、なおかつ受け入れてくれる保育園であれば、それだけでよかった。

下調べが足りないんだよと突っ込みをされる方もいるだろう。だが、そこは大阪市の認可保育園である。未認可の私立の保育園ではない。保育園の事業は大体ボランティア的で運営がなされてきたようで、多くは宗教組織が母体であることが多い。

私も高校は仏教高校であったので、ある程度は理解しているつもりだった。ただ、それでもこの保育園の運営が一宗教に偏向しすぎなのがいただけない。遠足に行く先が天理教の教会本部というのでは。これが、高野山であったり、比叡山であったりするなら特に気にもしないのだけれど。一般的な宗教体験から一宗教に向かっていくのならいいのだ。初めからひとつの宗教に向かわせる。そこが、天理教という宗教の特色なのかもしれない。

ほかの宗教に対して寛容でないのがいただけない。

私が何が嫌いといって、私の神だけが正しい、貴方の神は間違いだという態度が嫌いなのだ。他者に対して寛容でないのが大嫌いなのだ。直接間違ってるよと言うならまだましで、そ知らぬ顔で踏みにじるのが大嫌いだ。

たとえば、意識して行う差別はまだましで、知らずにする差別ほどひどいものは無い。知らずにしたから罪は無いと考えるなら、この世に倫理も法もいらない。無意識を理由に逃げたり消極的に正当化したりするのは、意図してやってるのと変わらないと思う。正当化する分性質が悪い。

こういう風に宗教体験させることは差別の場合と変わらないと私には思える。知らずにしているからいいじゃないかと言うなら、それは最悪だ。ましてや、4歳や5歳の子にさせることではない。

まあ、そんなわけで、わが子には遠足に参加させられない。

わが子が友達と遠足に行くのを楽しみにしているとしても。
ひどくつらい。
posted by いしのひげ at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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