2010年12月18日

背教者ユリアヌス 辻邦生 中公文庫

この小説は分厚い。

ページ数が多いというだけでなく、描かれるプロットが豊富で、人々の姿が奥行きを持って顕される。歴史小説にもいろいろあるが、吉岡英治や司馬遼太郎の著作を読めば、やはり分厚いと感じるのではないだろうか。
やや、独白が多いのだが、それを補って余りある挿話に溢れている。ただ、その分ストーリー展開はゆったりとしている。

戦や政だけが描かれるのではなくて、若者の青臭さや偽善、迂闊さ、勘違い、様々な人間の諸相が描かれて初めて人の輪郭が見える。美しさや強さ、かっこうよさだけでできている人間などいない。

さて、お話を読み進めるならば。

舞台は紀元三世紀から四世紀、ローマ帝国である。アメリカ大統領以上の権力を持つローマ皇帝たちのお話が主軸になる。ただ合衆国と異なり、皇帝は終身制で世襲もなされる。

それゆえ、皇帝の親族を巡るお話には悲劇を伴う。

大帝が亡くなり、その子供たちが新たな皇帝に就く。その時、大帝の弟家族はどう扱われるか。兄が存命中ならば皇帝の信頼する弟だが、亡くなれば新皇帝には一番の脅威になる。

それゆえ大帝の死去とともに、皇帝の弟家族は粛清された。
この話の主人公ユリアヌスと兄ガルスを残して、みな殺害された。この話はそこから始まる。

いたいけな少年の運命を悲しみを持って見るか。幸せな日々がいきなり奪われ、家族も奪われ、その理由さえ知らず生き延びる二人の兄弟を応援しながら見るか。権力の恐ろしさとその力を畏怖して見るか。一人では皇帝とはいえ、抗うことさえできない時代の流れ、数多の人々の意志を見るか。

それは読む人、人それぞれだろう。

古代ローマのお話。興味ない。何なのそれ?という方もいるはずだ。

時代に変わりなく、人が生きるとはどういうことかを知るのは面白いと私は思う。

歴史小説なんて真実は書かれない。そうだ。この小説が書かれた時代と小説の中身は不可分なのだ。時代のムードでローマ帝国は脚色されている。それも確かだ。でも、それも小説を二重に楽しめるというもの。

悲劇はイヤだ、というかもしれない。だが、家族を皆殺しにされ哲学だけを人生と考えていた、あるいはそう見えるように真剣に演じていたユリアヌスが、大逆転で皇帝に就く様は快采を送るべきものだ。

いろんな感想はあるのだが、幼くして父や母を失ったユリアヌスにすれば、よくここまで成し遂げられたものだと思う。その一点に戦慄さえ覚えた。
posted by いしのひげ at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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