2010年11月17日

障害児の保育園入園申請


障害児保育の申請のために、第一希望の保育園を訪ねた。園長と話し合う。もーちゃんの病気に対しての知識がないために保育を引き受けられるのかどうかわからないと言う。

元々はJ吉やにゃあちゃんが通う保育園でもーちゃんを引き受けてもらえないか伺ったのだが、断られた。保育園によってはそういう回答があることは予想していた。国や自治体は障害児保育を行っている。そういう建前になっている。が、現場で引き受けられないと断ると、無理矢理保育してくれとは言えないだろう。

保育園は幼児教育の場という建前なのだが、実際には保育に欠ける理由が必要で、通常は母親が働いているために保育の肩代わりを行うことが多い。また、障害児の保育も本来は健常者の保育と必ずしも異なるわけではない。保育に欠ける理由があるのであれば、障害児も差別されることなく保育園が引き受けるべきだとは思う。

なぜ保育が必要なのかといえば。

私の両親は他界しており、妻の両親は京都在住で、私たちの住む大阪とは離れている。また、妻の母は1級の障害者である。上の二人が病気になったり、いろんな用事をこなす上で、妻がもーちゃんを見ることができないという状況は生じる。そうなると家族構成から、誰かに子供の面倒を見てもらうことはできない。そうすると、私が仕事を休むことになる。
ここ最近の経済情勢がよいわけではない。仕事を休めば、少ない収入がさらに少なくなり、仕事自体も減ることになる。そういう事情であるから保育は必要と感じている。私が仕事ができなくなる。だから保育の支援を必要としている。ママが働くために支援してもらえるのであれば、パパが働くために支援してもらえるだろうということを期待する。

また、もーちゃんは生後3、4ヶ月の赤ちゃんと同じ状態で、そういう手のかかる幼児を1年間妻は見てきた。
来春まで保育園によるサポートがなくても辛いだろう。経験のない人にはわからないかもしれないが、寝る時間が規則正しくない時期の乳幼児の世話は大変だ。人間は自分のペースで行動できないと強いストレスを受ける。
ただ、来春には少しは負担が軽減できるなら、それまでの我慢ならば妻もしてくれるかもしれない。

現在は役所の福祉担当に紹介してもらった保育園の中で一番近いところを第一希望にしている。

近いということは大事なのだ。来年J吉は保育園の年長で、再来年は小学校だ。そうなると、J吉小学校、にゃあちゃん保育園、もーちゃんは今回希望している保育園と3箇所の送り迎えになるかもしれない。少なくともJ吉は8時半までに登校しなければいけない。あとの二人はその後に送り迎え。遠方の保育園となれば、登園が10時とかになってしまう。
J吉やにゃあちゃんは年少、年中組なので、友達も多くなっている。今更保育園を変わるとなるとさびしい思いをさせる。どんなものだろうか。

話は変わって。

ウェスト症候群という病名を聞いてどのように想像するのだろうか?

申請している保育園の反応が過剰なものに感じられる。確かに保育園としては預かっている間に子供が死んだりしたときの責任を恐れているのだろう。だから、私には保育園は断る材料を探しているように見える。どうにかして、病変により突然死しない子供以外は引き受けないようにしたいのだ、と見える。

保育園にとっては残念ながら、ウエスト症候群では死なない。もーちゃんの主治医に始めて会ったときに既に私はその質問をしたのだ。「この病気は命に関わりますか?死んだりしますか?」と問うた。
ただし、ウエスト症候群の患者の中には、他の症状や病気で亡くなる人はいる。自発呼吸できなかったり、嚥下できなかったりする場合には、チアノーゼを起こして呼吸停止することもあるだろう。だが、もーちゃんはそういう症状はない。

保育園にそう伝えるのだが、主治医に会って話を聞きたいと言う。

恐ろしく偏見の強い人たちだ。

彼らは偏見ではないと言うだろうが、まさしくこれが偏見なのだ。

私たち夫婦は、もーちゃんの体調が悪ければ保育園に連れて行かないし、体調が悪くなれば連絡をいただき迎えにいく。それは上の二人の子供でもしていることだ。保育園に子供を預ける親としては当たり前の行動である。
もーちゃんが保育園に預けられると考えるから預けるのであって、無理なものを押し付けるわけではない。もーちゃんの体調が変われば保育も変わる。保育園と相談しながら、進めることになる。

繰り返し、繰り返し、説明をした。

健常者であれば、ここまで煩雑な保育園の申請にはならない。J吉やにゃあちゃんの申請は簡単だった。
私たちはそれを知っているのだ。健常者と障害者の保育申請の違いがわかる立場にある。そのために、強い差別を知ることになった。

関係者は偏見ではないと言うだろうが、これは偏見なのだ。

もーちゃんは何故にここまで嫌がられねばならないのだろうか。

死ぬ可能性もない、ただ時折泣き声をあげるだけの乳児状態のわが子を引き受けられないというのであれば、保育園はどこの子供を引き受けられるというのだろう。叫び声をあげ走り回るということもなく、ただ横になっている。呼吸が止まることもない。発作で心臓がとまるわけでもない。誰よりも死ぬ危険はない。誰かに伝染する病気でもない。
生まれたときにトラブルにあい、呼吸停止し、発達障害の症状になった。それだけなのだ。

親としては子供たちの生活のためにも、保育を受けられるように努力する以外にない。

妻にはしんどい時がまだまだ続くのだが。
posted by いしのひげ at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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