2012年04月24日

キレる子ども

このきれるというのは「対外的に問題の見られなかった子どもが、突発的に暴力をふるう」ということを指しているらしい。

きれる事自体は何らおかしな行動だとは私は思わない。異常行動ではないと思う。
回避できる子供は、感情を抑制する方法を学んでいるからできることだと思う。継続的に感情を爆発させないよう練習しているからだと思う。

取り立てて問題視するのはなぜなんだろうか?

こういう感情の爆発が、犯罪行為につながると見ているわけなんだろう。

それは本当に因果関係があるのだろうか?

きれる子供について「子供のさまざまな問題行動のルーツは100%親からである!」などという意見も見かける。こんなもの、因果関係はないだろう。親が感情コントロールを子供に教えていないだけだと思うのだ。子供がこういう意見を見て、親が悪いと勘違いするのは残念なミスリードだ。

精神的な障害もあれば、発達障害もあり、そうではなく子供が発達することで自分自身が変わっていく事についていけない場合もある。それ以外には食事や睡眠での問題も関わる。きれるのがほとんど同じ時間帯に起こっているなら、それは睡眠か食事に問題があると思う。
眠くなると子供はぐずる。お腹がすくとイライラする。ただ、それだけのことだったりするのだ。親のしつけがどうとか、愛情が足りないとか、そんなことでは全然無かったりする。

食育だというと、みんな食育ばかりに目を向ける。発達障害だというと自分の子が発達障害だという目で見る。違うだろ?何も異常はない。理由は簡単なところにあるんじゃないか?大げさなことを言って大騒ぎするのはやめよう。

下記の古い研究を元に不安を増大させてしまうこともあるんじゃないか?こういう統計の結果なんてのは占いと大差ない。誰にも思い当たるものだからね。
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1)「キレた」子どもの性格的傾向の分類(報告書P.9〜)
  「キレた」子どもの性格的傾向を分類すると、(1)耐性が欠けていることが認められる性格的傾向(「耐性欠如型」)、(2)攻撃性が認められる性格的傾向(「攻撃型」)及び(3)不満を抱え込んでいることが認められる性格的傾向(「不満型」)に分類できる。
@ 「キレた」子どもの性別は、男子が87.8%、女子が12.2%で「キレた子ども」は圧倒的に男子の方が多い。
A 性格的傾向の分類の中でで、最も事例の多かったのは「耐性欠如型(70.3%)」で少なかったのは「不満型(30.1%)」であった。なお、「耐性欠如型」と「攻撃型」、「耐性欠如型」と「不満型」の双方に分類される事例はあるが、「攻撃型」と「不満型」の双方に分類されるものはない。
B 「耐性欠如型」と「攻撃型」は男子に多い傾向が見られ、「不満型」は女子にやや多い傾向が見られた。

(2)「キレた」子どもの成育歴に関連する要因の分類(報告書P.11〜)
 「キレた」子どもの成育歴に関連すると考えられる要因は「家庭要因」と「学校要因」に分類できる。

A.家庭要因の分類
 家庭要因としては、1)家庭内での暴力・体罰、及び2)家庭の不適切な養育環境・養育態度に分類され、2)については、@家庭内の暴力的雰囲気、A家庭内での緊張状態、B不適切な養育態度、及びC問題行動(非行等)への家庭の適切な対処の欠如、に細分類される。

B.学校要因の分類
 学校要因としては、1)友人からのいじめ、2)教師の不適切な対応、3)学業面の問題、4)友人関係の問題、及び5)問題行動(非行等)に分類される。

(注)以下に示す要因の比率は、あくまでも「キレた」子どもからみた「キレた」要因を示すものであって、「キレやすさ」を示すものでないことに注意する必要がある。

@ 「キレた」子どもの成育歴に関連する要因として、最も多く指摘されるのは、「家庭での不適切な養育態度(75.8%)」、「家庭内での緊張状態(63.8%)」である。
A 「家庭内の不適切な養育態度」としては、「過度の統制(18.8%)」「過保護(甘やかし)(13.6%)」「過干渉(11.3%)」「過度の要求(10.9%)」及びこれらと対峙すると思われる「放任(14.8%)」「言いなり(9.5%)」という両極にある養育態度が「キレた」ことの要因となっていると推察される。
B 家庭内で子どもに心理的な緊張感や不安感をもたらす「家庭内の緊張状態」としては、両親の「離婚(24.5%)」やそれと関連した事項として「夫婦不仲(12.5%)」、「貧困(11.5%)」、「再婚(7.8%)」が認められた。これらの事項は、子どもに心理的な不安や緊張状態を引き起こし、子どもを「イライラ」させ、両親に反抗的な態度を形成することに、少なからず関与しているものと思われる。そして、これらのことは、「キレる」ことに直接的というよりも、むしろ間接的な影響を与えているのではないかと推察される。
C 「父不在(14.5%)」「母不在(9.2%)」も要因として指摘できるが、これは、両親が不在がちであることにより、子どもに対する養育態度として「過保護」「放任」につながるのではないかと考えられる。
D 「キレた」子どもの4分の1前後は「問題行動(非行等)(27.4%)」を起こしたり、「家庭内で暴力・体罰(24.0%)」を受けたり、「友人関係の問題(23.9%)」があったことが指摘できる。
E 子どもの「問題行動(非行等)(27.4%)」に対して、「家庭の適切な対処が欠如」していることが認められた(「問題行動(非行等)」が認められた事例の73.0%)。「問題行動(非行等)」に対して、養育者が毅然とした態度対応をとることの必要性が指摘される。

http://www.nier.go.jp/seika/seika0206_01/seika0206_01.htm
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男の子は「きれる」ものなんだよ。当たり前だと思うよ。
我慢するのが苦手なんだと思う。女性とは違う点だ。母親からすると異常に見えるかもしれないね。

こういう情報を消化せずに生煮えの状態で頭にいれてしまう方が恐ろしい。

ただの分類であって、因果関係ではない。そこを間違えると苦しむことになる。
posted by いしのひげ at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月13日

脳性麻痺ときょうだい児と小学校入学前夜

"脳障害まひ、回復の仕組み解明=後遺症治療に道―大阪大(時事通信) - Y!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120402-00000132-jij-soci"
これだけ読むと神経栄養因子「BDNF」がポイントだということなのか

先段の記事は、BDNFを投与すると脳性麻痺の回復が促されるという記事に思える。動物実験の結果だけであるから、これから臨床試験を行うのか。BDNFについては歯周病の治療でも使われているようだけれど、実用にはまだまだ時間がかかる段階らしい。

大阪府には適正化委員会がある。"福祉サービスの苦情を解決するために、福祉事業者段階での「苦情解決の仕組み」づくりと、それをバックアップする大阪府段階の苦情解決のための「委員会」が設置されています
http://www.osakafusyakyo.or.jp/unteki/unteki/unteki.htm" 大阪市はどこに?
大阪市はこれか?まったく分かりにくい。苦情が来たら、ここにありますよと言うためのページじゃないか?http://www.osaka-sishakyo.jp/about/support.html

妻がPTとか介護ヘルパーについて不満があるようなのだが、直接言いにくいようなので、適正化委員会というか窓口があると助かる。

個人的には無理に背負う必要はないと思うんだよな。子供たちは成人するまでしか、私も面倒を見るつもりはない。それまでは死なないように努力するけど。兄だから姉だから面倒をみないといけないということはないはず。それ以前に我が家で介護が無理になれば、方法を考えないといけないと思ってる。

無責任だと非難するかもしれないが、それは人それぞれの考え方だと思う。無理なものは無理。能力を超えたことはできない。無理をしてみんなが不幸になるくらいなら、他人を巻き込んででも方法をさぐる。やり方は一つではないと思う。

まして、障害児の兄弟が父母が亡くなった後まで面倒を見る義務などないと思う。愛しているから、介護するというのはやめろという気は無い。しかし、それで兄弟時が不幸になるのは望まない。障害者も望まないはずだ。

そのためのフォローやサポートは今からやっていく。ただ、誰から順番どおり死んで行くというわけでもない。今現在の私の祈りは子供たちが命をつないでいってくれること。その先の準備はしていくけれど、私が死んだ後に決定するのは子供たちで、その点でも親は無力だ。

明日自分が生きている保証はないし、障害者になるかもしれない。あるいは、重い病気が発症するかもしれない。当事者になって初めて苦しみがわかる。それを忘れずに今を生きる。そうやって生きていこうよ。過去は変えられないし、自分の無能を棚にあげて無理をしても仕方ない。そして生きるのを楽しもう

貴方の苦しみは私には分からないし、私の苦しみが貴方に分かるはずなどない。だから、生きるのは楽しい。

一所懸命がすばらしいと思ってるのは間違いだと思う。一所懸命は悪だ。カリカリしないで、のんびりやっていこうよ。自分がしなくても、誰かに託せることは任せてしまおう。誰かに負担を背負わせるのではなく、お互いにできることを無理せずに。

特に、一所懸命にやっているのに結果が伴わないのであれば、それは間違いなく悪だ。間違ったやり方では、どれほど目の色を変えてやってもうまくいかない。一所懸命にやるほど酷い惨状になる。言い訳は用意されているから(一所懸命にやってるという)、酷さは倍増だ。

頑張ったからうまくいったのか、それとも運よくうまくいったのか。そこらへんの判断は難しい。一所懸命に必死にやったら報われたいと思うものだから、本当は頑張りに関係無く成果にたどり着いた可能性は高い。私は頑張ったから乗り越えれた。だから貴方もがんばれ、というのはダメだ。

私が他人から欲しい情報は頑張ったからとかいう主観的な思い込みではない。どういう状況で、どう判断して、何をしたかが知りたい。その結果具体的に何が変わったか。それ以外は意味がない。どんな気持ちでやったかなど、特に意味がない。

共感はあるが、とどのつまり貴方の苦しみは私には分からないし、私の苦しみが貴方に分かるは ずなどない。だから、生きるのは 楽しい。
posted by いしのひげ at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月03日

信貴山のどか村に遊ぶ

信貴山のどか村へ。

長男が保育園の登園拒否をしていたときに、約束していたのだ。散歩しながら、あの山に登りに行こうかと。長男は嬉しそうに行きたいと言った。
ずいぶん時間が経ったけれど、約束の山に行くことができた。彼はそんな約束を覚えていないと、私は確信している。

近鉄河内山本から信貴山ケーブルで高安山。J吉は生駒のケーブルカーを覚えていないという。下の長女は覚えているという。記憶力の差がでてきたかも。ケーブルは料金が少し高いのだが、景色がすばらしい。私は大好きだ。香港のケーブルカーにもう一度乗りたい。

バスで信貴山門に到着。しかし、お迎えのバス停がない。仕方なく歩くが坂が急なのでタクシーを呼んで到着。王寺から呼んだタクシーだが料金は660円だった。ありがとう運転手さん。

天気はよく快晴。入園料2000円あまりを支払い、イチゴ狩りへ。こちらは別料金。入園料より高い。4人分3000円あまりを支払う。

興奮した子供二人は芝生広場に走る。まずイチゴ狩りに行こうと誘う。
イチゴ狩り http://twitpic.com/93z9v9

イチゴ狩りの後は芝生広場で遊ぶ。空気で膨らんだ遊び場でキャッキャッと飛び跳ねていた。

そして、昼食。本来はバーベキューハウスでBBQの予定だったが、前日の雨もあり、弟家族が参加中止になったのでお弁当になった。芝生の上にお弁当を広げた。

再び芝生広場で遊びたいという子供をおいて、妻と次男は授乳室へ退避。にゃあちゃんがすねて言うことを聞かず。耳に栓をするポーズで反抗の意思を表す。成長したねえ。父ちゃんは履いている靴を投げて、それに反意を示した。フィールドアスレチックスに行こうよと言ってるのだが、それがどんなものかわからなかったようだ。

授乳室で http://twitpic.com/940w6w

二人はグラススキーをしてキャーキャー叫んでいた。坂を何度も上る。フィールドアスレチックスも楽しんだ。公園にはない少し危険な遊具というのは、やはり運動になるね。

石釜ピザで、おやつ。 http://twitpic.com/942ys3

山なので、雲がかかると小雨がパラパラ。何度もパラパラ降る。次男のもーちゃんには少し寒かったかも。

帰りのバス停まで送迎バスがあった。行きも電話をすれば山門まで送迎があったらしいのだ。調べておくべきだったね。バス停で行きのケーブルカーで出会ったおじさんたちに再会。長男は興奮。だが、彼は本当はおじさんたちを覚えていなかったようだ。調子がいいから、嬉しそうに話をしていた。

さて、次はどこへ行こう。
posted by いしのひげ at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

子供の事故と今やること

<立体駐車場>3歳男児挟まれ死亡 大阪のマンション(毎日新聞) - Y!ニュース http://t.co/NOa8WHMz
こういう記事を目にするたび、嫌でも子供を叱らないといけないと思う。

叱ったところで事故が起きるときは起きる。だからこそ、少なくとも危険なことを危険だと教えないと、どうにもならない。後悔にさいなまれることになる。

どう足掻いてもできないことはできない。また完璧にはできはしない。だからこそ、今やれることをやる。後回しにはしない。できないことは仕方ない。誰かを巻き込んででも助けてもらおう。明日私が生きている保証などないからね。
posted by いしのひげ at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

ほめるという事とルールと

鍵が見つからないので、仕事に行けない。参ったね。

一つ提案です。長男に鍵を開けさせたら、鍵を受けとるようにします。そこで、長男を誉めてあげてください。そうすれば、鍵が行方不明にならないし、息子もママにほめてもらえます。いかがでしょう?

子供を誉めるのて、楽しい。ほめるととてもいい顔をしてくれるからだ。ただ、どうほめるかが難しい。そのためにルールを作る。子供がルールを守ったらほめてあげる。そういうルールなら守るのも守らせるのも楽だ。

先日のサッカー教室。コーチがよく見てくれてると思った。息子がDFでOFの子がドリブルしてるのをボールを奪おうと、取れないまでもずっと競り合っていた。奪えないままゴール前まで運ばれたのだけれど、味方DFが奪った。OFの子は息子しか見えてなかったんだろう。そこで、コーチは息子をほめた。
コーチはきっちりマンマークするというのは基本だから、ほめたのかもしれない。が、OFの子にも競り合いになって、他のDFが見えてないことがダメだと勉強になるし、もう一人のDFは見方のDFをどうサポートすればいいか勉強になる。息子はきっちりマークするのもサッカーだとわかる。
ああいうプレーを皆が続けていけば、もっとレベルの高いサッカーができる。マークができるようになれば、ドリブル突破だけでなく、パスワークするようになるはずだ。そうするともっと面白いサッカーができる。コーチはそういう理想を持っているのだろうと思う。ほめることで指導していくつもりなんだと
ルールだから守らせるという指導をするチームを見かける。そうではないと思う。それでは、楽しいサッカーはできない。レベルの高いサッカーもできない。長男はいいコーチに出会った。感謝。

始めた頃から思っているのだが、長男はボランチかDFが向いているように見える。相手からボールを奪うのがうまい。当たり負けしない体だし、相手を追いかけるのを厭わない。自分の特質を把握できればもっと楽しくできるのだが。本人が気づかないと難しい。
敵に奪われないドリブルができる子。ポジションニングがうまい子。いつもシュートを狙って、毀れだまを決めるのがうまい子。いろんな特質をみんな持ってる。すごいなあとオジサンは見ているんだよ。わが子のプレーも感心してみている。俺も今生まれてたら、こんな子とプレーできたんだよなあ。羨ましい

http://sakaiku.jp/column/mental/2012/001916.html
コツは『がんばればできるかも』と思える目標を立てること。それを『110%目標』と言います。いままで60点しかとれなかったテストで、「66点でいいから。それ以上取れなくてもOKだから」”
− 『やる気の出し方』を子どもに教えていますか?

脳性麻痺のある次男を毎日ほめてあげたい。いつもそう思っている。長男や長女はほめてあげる機会は作れる。毎日一番がんばってる次男をほめてあげたい。すごい奴やで、お前は。最近では、伸びをしているように見えることがある。もし本当なら自律運動なのだ。私が脳性麻痺の方を見て思うのは、手足を伸ばしてリラックスさせてあげたいというのが一つ。わが子の症状がわかってから、それを願っている。お風呂に入るときも緊張が強かった。手足をのびのびさせて弛緩させてあげたい。いつかはきっとと思っている。このところは半身浴でゆっくり漬かっているので、リラックスできるようになった。

風呂に漬かりながらほめてあげる。手足伸ばせば、もっとほめてあげる。なぜか嬉しそうな表情をしているように思う。表情はまだ出ないし、笑うこともできないけれど。いつかはきっと。手足を動かせるようになるかどうかはわからないけれど、それだけは何とかしてあげたい。
彼の場合は脳神経が損なわれただけでなく、大きな要素として心配停止で受けた恐怖があると思っている。トラウマという奴だ。それが癲癇になって顕れたのではないか。癲癇症状は投薬のおかげで今は影を潜めている。体を鍼灸治療で暖めてもらったおかげで、冷たく息のできない経験を忘れつつあるのかも緊張は呼吸を妨げるし、血流を損ねて体を冷やす。それが、トラウマを起こして彼を苦しめていたように思う。体が温まり、呼吸が楽な姿勢に保つことで、彼のトラウマは少しだが忘れられているように思える。2年半が過ぎて、よくここまでがんばってくれたと思う。すごいよ。
posted by いしのひげ at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

放射能拡散予測メールとかなんとかと大阪府

「原発副読本で現場混乱 福島 http://yj.pn/6v0dJN #yjfc_fukushima_nuclear_threat」
で、こんなもんで混乱するはずがない。放射能について何を教えるか決まってないだけだろ。

放射能拡散予測メールの削除でも分かるが、行政は徹底して異常な放射能情報を隠蔽している。だから、モニタリングデータも公開していなかった。たぶんなんらかのガイドラインに「計測異常が原因と見られる放射能計測データを公開してはいけない」とでも書いてあるのだろう。
だから、間違えてメールを削除したとした役人は解雇されない。異常な数値は公開してはいけない、のだろうから。徹底して止められていた。

我が子の身障者認定もガイドラインが根拠で2級に認定された。美辞麗句が施されているが、3歳未満は認定しない、とある。本来は認定しないが、温情で2級に認定してあげるよということなんだろう。
一般市民はそんなガイドラインなど存在すら知らない。うっかり見つけても、美辞麗句にだまされる。行政のやり方は、そういう意味ですごく怖い。

高校の無償化も、 民主党の約束、マニフェストだけのように見せているが、実際は随分昔に批准した国際人権規約にあるものだ。将来的には中学、高校を無償化しますと国際的に約束していたのだ。
そうであれば、インターナショナルスクールを無償化から除外できないわけだ。大阪がやった朝鮮学校の対象外とする施策は正しくないことになる。反日という点では中共も韓国も同じ。国家と認めていない点では台湾も同じ。拉致事件を根拠に人権を踏みにじる対応をした。
あれだけ君が代日の丸を大事にするのに、北朝鮮にとっては君が代日の丸と代わらない金日成金正日の肖像画をおろさせたのが、大阪府だ。どこに正当性があるというのか?国民感情を大事にするのはいいが、大阪に住んでいる人たちを足蹴にしていいものか。国家がこういう事をするならまだしも。
posted by いしのひげ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

2/27のこと、娘のこと

少し古い話。

「2/27
長女が熱発。しっかり者だけど、強情。顔が真っ赤なので、冷えピタを貼ろうとするが、おでこに貼るのを拒む。掌、足裏まで熱いのに、カイロを身に付け毛布にくるまる。そりゃ熱も上がるし、咳もでるよ。氷枕、濡れタオルも使って、漸く落ち着いて寝た。今度はしっかり保温する。

娘はインフルB。イナビル吸入した。これで、A、Bそろった。」

娘はあまり要求をしない。だから、けっこう貧乏くじをひいているように思う。性格的にも我慢するように思える。兄はママに甘えるし、いろんな人にちょっかいをかけている。兄は保育園でつらい思いをしたようなのだが、娘は我慢する性質なので甘えることもしないでいるかもしれない。

発熱しても、甘えずに強情をはる子だからなあ。
posted by いしのひげ at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

3月3日、4日のこと

3/3
今日は、長男の合奏大会。どういう主旨のどういう団体の音楽フェスティバルなのかは知らない。ネットで情報がないので。この大会の演奏練習で泣き始めて、長男は登園拒否になった。原因はわからない。演奏自体は好きなようだ。今日も最後まで演奏を終えた。

二人の保育士が交代で指揮をした。その指揮ぶりを見ると、指揮でいっぱいで余裕がない。園児一人一人に目を向けていない。これは、きつい。演奏は上手だが、それに気を取られ過ぎだ。

兄の演奏を妹と弟は見に行った。二人ともインフルあけできつかったと思うが、長男が見てほしいと言うので全員で見た。残念ながら、座った位置が悪くて顔が見えなかった。耳をそばだてて長男の音を追った。本当によくがんばる子だ。

夕飯には帰宅。作る暇はなく、ちらし寿司を買う。それ以外はいくつか料理する。

3/4
今日のサッカー教室。コーチが声を出さないから、みんなダラダラ。団子になってドリブルもない。リスタートも遅いから、みんな走らない。他の子より速く動き出さないとボールに触れないよ。みんながそういう意識で動かないと、爽快なプレーはできない。

他の子より後ろにいて、他の子と同じ速さで動いていたらボールに触れないよ。どんどん触りに行って競いあえば、お互いにうまくなる。

自分をしっかり持つ。そういう言葉があるけど、しっかりした立派な考えをすることだと勘違いしてる。揺るがないこととかんちがいしたり。自分の心と言動をしっかり把握することだよ。気持ちと言葉、行動が一致しないのは、何かを勘違いしてる。

わが子の保育士もそうなんだが、君が代の斉唱で起立しない教師も、何か見失っているように思う。それぞれの仕事は何かと。生徒あるいは園児を見つめることが職業の基本にあることを忘れている。座っていては生徒の顔も見えまい。指揮するのに精一杯では、園児の演奏している顔も見えまい。
結局、己の頭の中の世界に生きていて、自分自身すら見えていないのではないか?何か一つのことだけで頭が一杯になっている。いろんな状況の中で、人は様々に行動し言葉を発する。己の頭の中で考えるには、あまりにも変化は大きいのだ。観察し、次を予測するだけでもオーバーフローするはずなのだ。

誰が、何をしているか。そして、自分は何を言い、何を行動するか。それ位のことしかできない状況というのがある。それをカバーするために事前の準備が必要になる。学校の授業はそういう準備なのだということを忘れているんじゃないか。学習は学習のためにあるのではない。卒業式もそう。

頭でっかちで、過去に縛られている頭で考えていることは、滑稽で陳腐になっていくのだ。人が何をしようとしているか、人が何を言っているのか、そこが教育の基本だろう。無理やり自分の思想を押し込めるものではないはず。こんな愚かな教師は少ないと思うが。わが子もアンラッキーだった。

音楽演奏会でも、主催者は「他の子たちの演奏に耳を傾け、あわせることが大事」と言っていたのだ。だが、わが子の保育士は正確なリズムをとることだけに汲々とする指揮をしていた。子供たちが他の子の演奏に耳を傾けているようには見えなかった。ただ上手に演奏しようとしていた。

親もまた、同じ。反省しながら、まずわが子を見る。何を話し、何をしているかを見る。それと同じく、自分が何を話し、何をしているのかを知る。始終していれば疲れること。ある程度は手を抜きながら楽しくやっていこう。ある一点だけを見つめるのではなく、ぼんやりと全体を見ていこう
posted by いしのひげ at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

無理な最善は要らない、こころを見よう

ベストを尽くす、というけれど。実は最善の策には危うさがあることが多い。将棋で、棋士が最善と思って指した手が失着になってる。最善の誘惑か。魔がさすというか。どんなやり方にも長所と欠点があるのを忘れないようにしたい。

今、となりでスヤスヤ穏やかな寝息でもーちゃんが寝ている。でも体は少し緊張している。隣でJ吉も可愛い顔で寝ている。保育園はしんどいか。そして妻。ここ暫くのトラブルで疲れてる。一番向こうのにゃちゃんは、ここからはよく見えない。大人しい子なので、気づいてあげられない事が多い。よく寝てる

保育士にも言ったことだが、親は子供をみてあげることが一番大事。素晴らしい人がいい親なのではなく、子供を、子供の変化を見ているのが適当な親なんだろう。いい親になろうとするのは馬鹿げている。でも、彼らをよく見ている事はできるはず。どんな顔をしているか。何を見て、何を話すか。何を考えてるか、感じてるか、なんてわからない。保育士は勝手に捏造して子供の気持ちを連絡してくる。親にもわからない。そんなの本人にも分かってないかもしれない。デタラメはやめよう。見てあげる、抱き締めてあげる。それくらいしかできはしない。

やり方を変えようと言われても、あたしこのやり方しかできへんもん。そう思ってるんやろな。何か言われても返事もせずに、言われたことをやるのが、なぜダメなのかわからんのだろうな。嫌なものは嫌、好きなものは好き。話し合って、やれる形でやらないとしんどくなる。自分の好きにやるからてことか。それで、自分の中にためこんで、いっぱいいっぱいになったら投げ出すんやろ。いつまで、そんなやり方を続ける?うちの状況はかなりキツいのに、そんなやり方でいつまでできる?

難しいことは言わない。とにかく話していくだけ。言葉にすること。自分が何かを決定しようとしていることを意識すること。決定したなら、話すこと。それを相談するように変える。これは、子供たちにも言っていること。そうでないと、自分の中にためるばかりになる。

自分のこころと向き合うというのを勘違いしている場合は多い。自分の気持ちを考えようとするからだ。自分の気持ちを誤魔化したり、嘘をついてたりすれば、本当の気持ちはわかるはずがない。自分の言葉、行動をよく見ておくことが、こころと向き合うということだよ。

誰々の行ったとおりにしているだけ。その言葉は危険なんだ。それは自分のこころに嘘をついている。自分を傷つける行為なんだ。何が好きで、何が嫌いか、はっきり意識すればいい。他人の言葉通りといっても、自分の意に沿う部分だけをしているんだ。なぜそうしているか意識せずにやってる。

そのくせ、なぜそんなことをしてしまったんだろうと思う。それは自分に嘘をついているから、わからないだけだよ。自分では何も決めていない。人の言ったとおりしているだけ。そう言うのに人が何度も言ってることに耳を貸そうとしない。それはなぜだか、考えたほうがいい。

そんなことを続けていると、自分が何を考えているかわからなくなるよ。言葉にすると、自分はこんな気持ちなんだとわかることが多い。自分の言葉に耳を傾けてみる。それが自分を知ることなんだと思うよ。なんでこんなことしてしまったんだろうと悔やむんじゃなくて、自分の気持ちを知ってあげるんだよ

私自身、汚いこともやるし、ずるいこともやる。それが自分なんだから仕方ないと思うよ。それを誤魔化してもバカらしいと思うんだよ。バカなんだから、こいつ。それを認めてあげたらいいんだよ。

他人。友人や先生、知り合いなんかに何でもかんでも話してはいけない。それで、話せなくなるのかもしれないね。でも、親や兄弟、夫婦、子供には、ある程度本音を話していいと思うんだよ。家族の居ない人は、だから大変だ。自分のこころと向き合うのが難しくなるかもしれない。嘘ついたり、誤魔化したりするのは、よく知らない他人。それを間違えて、自分に嘘ついたり、誤魔化したりしないようにね。
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2012年03月05日

「ねばならない」と「よくできる子」

こういうツイートがあった。
「子供が障害児なんだけど正直もう育てたくない
http://worldrankingup.blog41.fc2.com/blog-entry-1961.html
目を逸らしたいけど、この業界でこういう人たちの支えになることがしたいなら、逸らしちゃいけないんだよね。 」

親が80歳を超えて、障碍者の子供の介護をするとなったら、これはGIVE
UPしていいんじゃないかと思う。私もわが子が20歳の段階で考えると思う。無理して憎しみを感じるくらいなら、降参する勇気があってもいい。

こういう記事を読むと思うのだけれど、みんな自分が障碍者になると思っていないように見える。私の父が手術を受けて、せん妄状態になったとき、「あ、誰でもなるんだ」と知った。彼の場合は一時的なもので回復したのだけれど。あのままならば、介護の必要が生まれた。

やはり、きょうだい児の問題は「よくできる子」ほど深い悩みを持っているのかもしれない。やはり、少しくらいわがまま言ってもいいんだよ。

「ところが、みんな反対のことをする。たとえば、子どもは学校に行かねばならないとか、夫婦は愛し合わなければならないとか、思うがままにならないことを「ねばならない」で縛りつけ、苦しんでいたりする。」
http://www.futoko.org/special/special-42/page1128-2066.html

そうなんだよね。やり方を変えれば、実は間単にできたりするんだよなあ。「ねばならない」という拘りさえなければ、拘ってるのとは違う方向から行けばいいだけなんだよな。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。でも、それで全部が片付くわけじゃない。「好き」に拘ると、またしんどい

キレイだけど閉じられふさがってるドアの隣には、小汚いけど楽に通り抜けるドアがある。でも、汚いから目に入らなかったりする。だから、通れないドアを使って入ろうと汲々としてる。あるいは、裏に行けばもっとキレイで広々したドアがドアマン付きで用意されてるかもしれない。
posted by いしのひげ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする